読み上げ CV:西原翔吾
再生
「私、見てたよ」
そう指摘されて少し困った。
どう答えたらいいだろう、ゲームのチャット画面の向こう、会ったこともない彼女が、いまどんな顔をしてるのか想像してみる。
年齢はおそらく二十代半ばから後半ぐらいの、職業を明かすことは無いが、その勤務時間や仕事の様子を言葉の端々から捕まえると恐らくは、保育士か栄養士か、そんな職種を想像をすることができる。
表のチャットでは仲間たちの他愛の無い会話が続いている。
その裏側で彼女は、こっそり、手紙を寄越してきた。
今夜は22時から大事な一斉攻城を予定していた、来週末の州境の関所攻略を見据えた、いわゆる『予行演習だ』と、幹部の中では了解している。
関所攻略と同時に始まるのは、布告からの戦争だが、彼女はそんな事はまだ知らないのかもしれない。
「知らないふり、できなくて」
いつも優しい彼女の、ちょっと冷たいような、そして問い詰めるような言葉に僕は思わずたじろぐ。
「今偶然見ちゃったから、ねぇ、なんで?」
見つけようとしてもそこに無い答えを探し、電車の窓から外をみると、夜のコンビニの前でたむろする子供の姿が浮かび、一瞬で後方にすり抜けていく。
この電車は急行で、郊外のベッドタウンまで速度を緩めることは無い。
後ろからよりかかって来ていた、水曜日も残業だった告げるようなくしゃくしゃのシャツを着た定年間近な男の息が首筋かかった瞬間、世界の全ての不快が鮮明になる。
並行する道を走り抜けていく車のサイレンも、踏切からこちらを見る張り詰めた学生の視線も。
急に、この空間が電気を切られた水槽の中のような息苦しささえ感じた。
「なんでかな」
やっと五文字を指で弾いて送信する。
べつに勿体づけてそうしたいわけじゃなかったけど、他に適切に説明できる言葉が無い。
電車が急に速度を上げて、いつもより細い悲鳴を上げながらカーブを曲がった気がしたが、皆死んだように声を上げない、当たり前の夜。
「それだけ?」
彼女からの返信がどこかに、ちくりと、ささった気がしたが、平日、きつい仕事を終えた夜にもはや痛覚なんて存在しないと無視を決め込む。
「…まだ仕事場なんだ」
意味の無い嘘をつき、目を逸らした先で、偶然袖元から見えた、隣の男の腕時計は21時48分を示していた。
「わかった、邪魔してごめんね」
諦めたような言葉が、かえってさっきより深くささった気がする。
もう間に合わないな、絶望的な気持ちで画面を見つめた。
スタダからここまで育て上げた、ドクロ5枚は軽く抜けると断言した珠玉の殲滅部隊が、嫌味なほど時間をかけて城に戻っていく、ゆっくり、ゆっくりと。
片道一時間半かけて。
もう、なにもかも遅い。
あの時、気づいていれば防げたかもしれない。
ただ、何分かかるか着弾時間を確かめたかっただけだった。
それだけなのに。
ただの偶然で、
指先が無意識に、
思わぬ場所を押す。
それだけの小さな間違いだ。
菅田将暉の曲が、誰かのイヤホンから流れてくる。
まちがいさがしなんてしなくても、わかりきっている。
分配された隊には参加できる殲滅が少なくて。
自分が必要ないと、できますからと言い切って、
そんなつもりじゃなかったけど、もう間に合わないと言わなくては。
チャットで点呼をとってる仲間に、このごまかしようのない現実を伝えなければ。
そう、思いながらも、スマホの電源を静かに落とす。
「ねえ、それでいいの?」
顔も知らない彼女の声が聞こえた気がしたけど、後悔さえも時速45キロの後方に置いて、静かに微かな繋がりが、夜の間に消えていった。
みんな、ごめん、
そう素直に言えたら良かったと、本心でそう思っている間に電車の中、誰かのアラームが22時を示す、容赦の無い音階が響き続けていた……。