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朱儁-漢-弓

【志】東漢末期の名将。光和7年(184年)、黄巾の乱が勃発した際に、朱儁は右中郎将、持節を務めていた。三郡の地を平定したのち、功績が皇甫嵩によって上奏され、朱儁は西郷侯に封じられ、鎮賊中郎将に昇進した。のちに、軍を率いて南陽の黄巾をも鎮圧した。董卓は政権を握った後、朱儁を補佐に任用しようとしたが、朱儁は応じなかった。その後、彼は荊州へ逃走し、中牟に駐屯した。徐州の刺史である陶謙は各州の長官に檄を飛ばして、李傕を打倒し皇帝を救おうと呼びかけ、朱儁を大師に推挙しようとした。しかし、朱儁は朝廷の命令に応じて都に赴き太仆の任を受けた。興平2年(195年)、李傕、郭汜の間で内紛が起こり、郭汜は朱儁を人質に取った。激しい性格の持ち主である朱儁だったが、その日に病にかかり死去した。 【演】『三国演義』では、朱儁についての記述はほぼ史書と一致している。漢の車騎将軍を務めた。黄巾の乱のとき、中郎将として、軍を率いて鎮圧に当たった。たびたび功績を残し、車騎将軍、河南尹の官職に昇進した。その後、董卓一味の残党である李傕、郭汜が権力を乱用し、重臣貴族から略奪を繰り返した。朱儁は漢王朝が衰微していく現状を見て、悲しみを禁じえず、帰宅後に病死した。

cost:3 兵種:弓 攻撃距離:4

初期知略:77 初期攻撃:89 初期攻城:12

初期防御:88 初期速度:52

初期知略:77

初期攻撃:89

初期攻城:12

初期防御:88

初期速度:52

初期戦法:
西郷武功:戦闘開始後2ターン、自軍複数が毎ターン先攻効果を獲得。さらに対象は2ターン目の行動前に有効距離4以内の敵軍複数に策略系攻撃を行う(ダメージ率191.0%、知略の影響を受ける)。
分析可能戦法:
衆謀不懈:戦闘中、自身が主動および追撃戦法発動判定時に、毎回40.0%の確率で有効距離5以内の敵軍単体に策略系攻撃を行う(ダメージ率194.0%、知略の影響を受ける)。
朱儁
100553

    ※数値と戦法はゲーム内の最終効果を基準とします。