詡は自ら、太祖の宿臣にあらざることを弁え、またその策謀は深遠にして先を見通すものであったがゆえに、猜疑の目を招くことを恐れた。そこで門を閉ざして身を慎み、引退後は私的な交友を一切持たず、子女を嫁がせる際にも高門との縁組を避けた。それでもなお、天下に智謀・権略をもって名を知られた者たちの中にあって、賈詡こそは最たる存在と評された。
——『三国志・魏書・賈詡伝』
権変に通じ良平に比肩し、算無遺策の名声あり。今回ご紹介するのは、賈詡活画【観時任数】と人物誌ショートフィルムを集める期間限定イベントの予告です。

【観時任数-賈詡活画イベント】
-イベント期間
2026年1月14日16:30 - 2026年1月27日24:00(UTC+9)
-イベントについて
·イベント期間中、武将画像【観時任数】が期間限定で販売されます。購入すると、【★5・魏・賈詡】の画像を変更できます。
·購入すると、限定アイコン、アイコン枠、ログインテーマも同時にアンロックされます。
·画像は2880玉符で購入可能。購入すると永久に有効です。
·まだ【★5・魏・賈詡】を所有していない場合、武将入手後に画像がアンロックされます。
乱世の波に浮き沈む大計の策士、神機妙算にして最善の道を歩む。
天下統一のために妙計を巡らし、世の劫火を見守り春秋を送る。
賈詡、字は文和、武威郡姑臧県出身。漢末に孝廉として察挙されて郎官となる。董卓が洛陽に入城すると、賈詡は太尉掾を経て平津都尉に任じられ、のち討虜校尉に昇進した。董卓が敗死すると、その部将らを説いて西進させ、長安を攻撃させた結果、李傕・郭汜の乱を惹き起こした。のちに尚書に拝命され、官吏選抜を掌り、多くの人材を登用した。李傕と郭汜らが長安城中で相争うさなか、賈詡は宣義将軍として漢王室の朝廷をしばしば匡弼した。献帝が東遷すると、賈詡は李傕のもとを去り、将軍段煨の陣営に身を寄せたが、その猜疑心の深さを見抜いてここも離れ、南陽の張繡のもとへ赴いた。そこで二度にわたり奇策を用いて曹操を撃破し、張繡の謀主としてその名を高からしめた。官渡の戦いの頃、賈詡は張繡を説いて曹操への帰順を勧め、自身はこれにより執金吾に任ぜられ、都亭侯に封ぜられた。その後、冀州牧に転じつつも司空府の軍事参謀として国政に参画した。さらに賈詡は、袁紹・韓遂・馬超らを撃破する諸戦に従軍し、そのたびに策謀をめぐらして戦局を動かした。また、袁紹・劉表が長子を退け幼子を立てて禍を招いた前例を引き合いに出しつつ、密かに曹丕を助けて太子の地位を固めさせた。魏の文帝が即位すると、賈詡は太尉に抜擢され、魏寿郷侯に進封される。黄初四年、高寿をもって善終し、その諡は粛とされた。
上記の内容は実装時に変更される可能性がありますので、ご了承ください。いつも『率土之濱』をプレイしていただき、誠にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします!
溥天の下、王土に非ざるは莫く。率土の濱、王臣に非ざるは莫し。
百家に縦横し、時代を満喫せよ!
『率土之濱』運営チームより