読み上げ CV:西原翔吾

再生

6鯖第2シーズンのある同盟の軌跡

ノッポ&ゴン太(@NoppoSun) 2020-07-23

「6鯖第2シーズンのある同盟の軌跡」

 

「墨守の歩み」

(第一章 生い立ち)

12月1日 盟主パパの元「墨守丶戦」が産声をあげ、有志が集った

この墨守という名前が、後に成員たちの運命を導くことになる

 

時同じくして、同じく6鯖、「まさ」を慕う者たちが「悠々玄武」を立ち上げた

両者は協調しあい、12月19日 揚州内での地位確立のため両者は合併

 

この間も行われていたのが、同じく揚州を拠点とする楽華隊(飛信隊)との共闘または合併に向けての話し合い。これがなかなかの難航ぶりだった

5鯖出身の楽華、6鯖出身の墨守、互いに歩み寄る気持ちを持ちつつも、相手を知らないということが不信につながっていた

 

(第二章 楽華戦)

そんな中12月23日 墨守は関所「邦」より豫州入りを果たす

進軍速度はめざましく、翌日には、州府「譙」へたどり着き、西は楽華隊を警戒し関所「郿」を抑えた

 

そして、、、これが楽華隊との決裂の原因となった

 

両者の意見と思いは スレ違い、協調路線の話し合いは決裂

12月26日 夜8時、その火ぶたは切られる結果に

 

墨守は戦いを優勢に進めるものの、迎える楽華も必死

楽華盟主主城移転に盟主禅譲、この戦いは4日間に及ぶ

決着のつかない様相に他州からの進行もあり、12月31日両盟主話し合いの元、この戦いは停戦となった

 

この間、戦争中にも、揚州で協力を!という声が多く上がり、この戦争の意味に疑問を持ちながらも、戦えば打開できるのではと必死に戦った

 

しかし、その望みが叶うことはなかった

 

すでに青州、徐州を抑えその地盤を強固にしていた梁山泊が揚州に入り込み

楽華は、成員の多くが梁山泊へ移籍し、縮小の道を選んだ

墨守は、揚州の「建業」「呉」の2郡を差し出すことで戦争を免れた 

 

(第三章 荊州進行)

この後、墨守は強者 梁山泊に呼応する形で荊州入りする

名目は荊州「封神演義」攻略

 

しかし、墨守には違う思いもあった

前季「封神演義」からの出身者、また手厚く擁護を受けた、そんなメンバーが墨守に多く在籍していたからだ

封神演義メンバーを「救うために進行する」のだと

 

1月6日関所「郿」を破り荊州進行

 

同日、墨守は建国を果たす

国号「夏」、都は「陳」

 

荊州進行は封神演義からの抵抗は少なく着々と進んでいた

また、封神演義からの移籍により仲間も増えていった

 

(第四章 梁山泊戦)

この頃、墨守としては選択を迫られていた

梁山泊へ付くべきか、1314に付くべきか

墨守メンバーの多くが梁山泊との共闘を望み、その意志は固まっていた

 

しかし、1月21日 梁山泊からの突然の宣戦布告

 

ここでも不信という壁が立ちふさがり、墨守メンバーの思いは梁山泊に届いていなかった

 

強国梁山泊の侵攻になんとか耐えようと必死に戦ったが、準備の整っていない墨守は見る見る要塞を破壊され

1月23日梁山泊盟主の立て札が立つ「敵意のない人はメールを下さい」と

これに対し「はじめから敵意はない」とこちらは梁山泊と共闘を望んでいたことをそれぞれが口にする

 

ここで梁山泊へ墨守の思いがやっと伝わることとなる

 

梁山泊は1314戦へ向けて墨守の応援を要請

それを受けて多くの墨守成員が梁山泊へ移籍をする

 

(第五章 墨守解散、再興)

墨守は解散、、、解散する盟主の胸のうちはいかがばかりか、、、

 

しかし、再興の時は間もなく訪れた

 

1314戦を待たずして1月31日墨守再興

墨守が信頼を勝ち得た結果だった

荊州、揚州からも再興を聞きつけ多くの成員が墨守へ戻る

そして、真正墨守として梁山泊より許可を得た城の攻略を進めた

 

(第六章 Revoへ移籍)

1314陣営vs梁山泊戦は1314の勝利

1314陣営のRevoは豫州管轄となり乗り込んで来た

 

再興墨守の活躍ぶりを目にしRevoからは墨守併合の誘いが来ることに

梁山泊へは不義理でないことを確認し

墨守メンバーの未来のためRevo移籍を選択する

 

(最終章 最終戦)

そして、、、

Revo vs 1314 洛陽をかけた模擬戦

3月6日から1週間続く死闘だった

墨守メンバーの活躍ぶりはめざましく、その地位をこの戦いにて確立したといえよう

 

そして、「墨守」という名前が運命を導いたかのような指示が墨守に下る

 

地の利と墨守のまとまりを見たRevo幹部より守備城の守りを任される

この時、すでに戦況は劣勢、守ることの必要性を幹部は痛切に感じていたに違いない

 

この示達を受け、墨守メンバーは力を合わせ防守に尽力した

その間3日間

メンバーの目覚ましい活躍、互いに協力し合う連携

幾度となく繰り返される1314からの波状攻撃を見事耐え抜き守備城での最終決戦へと持ち込むことにおおいに貢献した

 

「墨守」とは、、、、

中国で思想家の墨子が、宋の城を楚(そ)の攻撃から九度にわたって守ったという「墨子」公輸の故事から、自己の習慣や主張などを、かたく守って変えないこと。頑固に守ること

 

その名に恥じぬ堅い意志の貫きっぷりは、感動すら覚えた

 

「墨守」の一員として微力ながら共にできた喜びに感謝いたします

 

そして、墨守を支えた多くの方々の今後のご武運をお祈りいたします

 

※人名は変えてありますが、同盟名はそのままです

主観的であり、物語を面白くするための誇張などあるため、実際とは異なる部分があることをご了承下さい。

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